カテゴリ: 親の事

何故結婚しちゃったのか、どうして見抜けなかったのか。

相手を見抜く事よりも先に、拠り所を欲していた。普通ではない親の姿は誰にも話せず、憎しみを自分の内側に隠し持っていた私は、とにかく居場所を見つけたかった。
いつから家に不信感を持ったのか、いつから親より家族より男にが大切だと思うようになったのか。

学生時代、男から想われる事が1番大切だった。
言い寄られる事で自分の価値が上がったような気になっていた。
今思えば想われていた訳ではなく、簡単に引っかかりそうな女だっただけ。
素敵な恋愛の記憶もない。
どうしようもない浮気男、高校生にしてヒモのような男。性欲の塊のような男、酒だけが生きがいの男…。
それでも家族で過ごす事よりも男と一緒に居たかった私は、どこからそうなったのか。

小さな頃、変質者に下半身を触られた事がある。
我慢すればそのうち立ち去るだろうと、声も出さずひたすら耐えた小さな私。

そしてそれを母に話した途端に恐怖と安心で涙が止まらなくなったのだけど、あの日警察に通報しなかった母のことは不思議で仕方がないし、親として足りない人だと思うようになったんだと思う。娘が怖い思いをしたその事を、母から父に伝えたのだろうか?確認はしていないけど、間違いなく伝えていないと思う。両親に守られているという安心感はこの頃から持っていなかったと思う。

だからなのか、私はとにかく早く自立したかった。 
親に嘘をついて男友達の家に泊まりに行った事なんて数えきれない。自分の娘が同じ事を計画したら、まずその話が嘘がどうかをちゃんと見極める努力をすると思う。私の親は簡単に騙せた。私の嘘がうまかったのか、親がバカだったのか。
悪知恵だけは働くクソガキだった私。
でも親は良い子だと思っていたはず。本当の事がバレる日までは。

バレてからも、親が私と真剣に向き合っているとは思えなかった。「親に向かって」とか「親のおかげで」とか、とにかく私を1人の人間として見ていない発言が嫌いだった。
大人だと無条件で偉いのか?
大人は間違った事をしても子供に対してなら謝らなくてもいいのか?
そんなことばかり考えていた。

先日、 怪我をして保険が降りたからと嬉しそうに話す母を見てまた嫌な事を思い出した。

もう10年以上前の事。
道路工事の整備ミスが原因で、母が散歩の途中に転倒し大怪我を負った。
その時、治療費がなくて病院に行けないので保険が出るまでの間まとまったお金を貸して欲しいと父に頼まれた。
これまで何度もむしり取られ踏み倒されているのだから、そうすんなり貸す気になれるはずがない。でも顔面から血を流しあざだらけの母を放置するわけにも行かず。
結局向こうの求める10万円を貸す事になった。

その後何の話もないので、こちらから保険はどうなったか聞いたところ「保険は出たが金はもうない!」という父親から信じられないメールが届いた。
忘れもしないこの文章。なぜ「もうない!」なんて逆ギレ気味なのか、本当に理解に苦しむ。

そんなことが何度もあって、一時期は数年もの間完全に連絡を絶っていた事もある。
でも子供は関係ないのに、こちらの都合で祖父母と会えない状況がいよいよ不憫にもなり、何とか受け入れるようにしてから数年。あの頃の事は忘れることはなくても、気持ちを切り替えて過ごしてはいるつもりだけど、ふとした時に思い出し、何とも言えない感情になる。
許せないし、憎いし、信じられないし、軽蔑するし…

じーちゃんっ子の子供にはとても言えないから、ここで吐き出すしかない。

私も今となっては親でもある。
親になったから今だからこそ、自分の親の感覚に疑問が浮かぶ。
なぜあんなに引っ越しをしたのか。もちろん避けられない場合もあったとは思うけど、今なら分かる。仮に引っ越ししたとしても転校しないで済む方法もあったはず。
私がもし今引っ越す事が必要となったとしても、学区内で済むように一生懸命探すと思う。
生活の拠点が変わる事で子供にどんな影響が出るのか、考えない親だったんだと思う。 

近所の人に馴染めず、あの土地は嫌いだった、早く離れたかったという母の話を聞いた事もある。
周りと良い関係性が築けそうになかった母にとっては、引っ越しはむしろ有り難い事だったのかもしれない。

引越しにしても仕事にしても、親のエゴで迷惑を被った記憶ばかりが浮かぶ。ここで詳しく書いてしまうとどうしても身バレの不安があるので今は書けないのだけど、親の(特に父親の)思い込みや押し付けが多かった気がする。そしてそれに従う母。
母子家庭で子供に不自由な生活をさせている分際で言えることではないのかも知れないけど、両親が揃っているからと言って幸せな家庭とは限らない…を体感して過ごして来た気がする。
両親が不仲だった訳では無いけど、パワーバランスが何だかおかしい夫婦だと思って見ていた。

私は家か嫌いだった訳ではないけど、早く家庭を持って家を出たいとも思っていた。

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