2017年09月

暴言や無視は当たり前。
ひどい時には暴力を振るわれ頭に角のようなコブがいくつもでき、目の周りも真っ青に。
私は当時親と絶縁中。相談できる場所は本当に限られていたし、暴力を相談するのはみっともない気がして、誰にも話せなかったずにいたのだけど、いよいよ警察に電話相談をする事件が起こる。
震える手で携帯を握りしめながら、一通り話をした後に言われた言葉が「刑事事件にしますか?」 

刑事事件・・・

こんなワードを聞くことになるとは思ってもいなかったので、一瞬で不安になり、「今回は大丈夫です」と言ってしまった。

そんな大ごとになっちゃうの?その手続きをしたら今後どうなっていくの?
自分が共に生活すると決めた相手を被疑者として、刑事事件にすることへの漠然とした不安と恐怖でいっぱいになった。

「大丈夫とは言え、署としては放っておくわけにはいかないので、明日一度来ていただいて直接お話を聞かせてくれますか?」とのことだったけど、なんだか怖くて、結局翌日に電話で「もう大丈夫なので」と行かないことを伝えて終わりにしてしまった。



もし刑事事件にしていたら、その後どうなっていたのだろう。
まだ夫婦なわけで、調べがついたらまた戻ってくる。
その後の生活は?
わからないことだらけ。
私の場合は「私の知り合い」の実家だった場所に住んでいたため、もしものことがあっても出ていくのは夫となる。
出て行ってくれなかったらどうなるのかという心配もあった。
DVでの保護命令も、被害者側が逃げた(避難した)上で加害者に「そこに近づかないように」ということはできるけど加害者に「自宅に帰ってくるな」ということはできない。

私には仕事もある。子供だって学校がある。家を出て避難することは現実的ではない。
あれこれ考え、なんとか修復の方法を探ることにした私。

でもこれが大間違い。
DVは繰り返す。
耐えて耐えての結果どうにもならず離別を決意するんだったら、早い方がいい。
マイナス要素がどんどん積み重なる。
私も子供も、今でも悪夢にうなされる。
殴られる夢、家の窓を割って侵入してくる夢。


これはDV?と思っていたらまず情報を集めること。
いざというとき警察に「刑事事件」と言われても、ひるまないで済む(笑)。


婦人相談所
http://www.re-date.net/kikan/fujin.html

警察の相窓口
警察相談専用電話#9110

今すぐに決断する状態じゃなくても、情報を集めてもしもの時に備えること。
緊急事態には警察に助けを求めること。




結局、私が警察の窓口を初めて訪ねることになったのは、最初の事件から3年後。
DV相談の書面にサインをした後に手渡された資料に書いてあったこと・・・

「あなた自身の決意と協力が必要です」


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繰り返される暴言や暴力に苦しんでいる人へ。
その場をどんなに我慢しても、怒らせないように努力しても、多分無理だと思うんです。
子供がいるからとか経済的に無理そうだからとか…。
でもきっと、今の状況では子供の成長に良くない事が多すぎます。
お金だってそりゃああった方がいいけど、なくていい事、あってはいけない事がありすぎる生活はお金と天秤にかけていいものなのか…。

今、私は幸せです。
子供がちゃんと笑っています。贅沢なんて出来ないけど、人間らしい生活はできています。心が健康です。

諦めずに、調べて見て欲しいです。
人として生きる権利を奪われないで!

頼れる人を全力で探して下さい。
1度や2度で諦めたんじゃ見つかりません。

私も何度となく挫けそうになりました。
あちこち、それはもう本当に手当たり次第藁をも掴む思いで相談をしては心が折れて…の繰り返しです。

でも、やっとやっと見つけました。
私の状況に寄り添い力になってくれる弁護士さんがいたのです。
今の状況が「普通ではない」事を忘れそうになります。八方塞がりだと、そうなるしかないのです。

でも一般的な感覚を失ってしまったら、この先を死んだように生きるしかなくなります。

現状から脱出するためには気力体力は何よりも大切です。
負けないで。


とにかく奴の地雷がわからない。
え????ってところで爆発する。
怒鳴られ無視されは日常茶飯事。
子供の前では普通を装いつつ、いつも不安と苦悩が付き纏う。

このままでいいのだろうか…

この時の私には相談できるところがなかった。
また?って思われたくなかったというのが1番の理由かもしれない。とにかく友達に相談する事は避けていた。

こんな時に頼りたいのは自分の親。
でもこの頃の私は両親と絶縁中。
子供を抱えて離婚を決意した時も、私は両親に知らせることはしなかった。


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あの日の事は悔やんでも悔やみきれない。
奴の友人が集められ、お披露目会場も既に予約されていた。証人も含め、ほとんどの欄が埋められた婚姻届。
あの日あの時、私にはサインをしないという選択肢があったのだろうか…。
不安しかなかった。
届出に行く際、奴を引き止めて「本当に大丈夫?」」
と聞くのが精一杯の流れ。
「は?何言ってんの?大丈夫に決まってるでしょ」的なハイテンションの返事で、大切な事なんて何一つ話せなかった。

悪夢はこの日から…ではなく、もっと前から始まってたんだ。
でなきゃ、こんな風に不安なまま、大切な事を抜かしたままほぼ強制的に籍を入れる事になんかならないはず。

怒らせたらいけない。私が我慢すればいい。
いつか変わるかも知れない。

私の教科書に載っていたのはきっとこの3点のみだったんだと思う。

私の母もまた、きっと孤独だったと思う。
知らない土地に子供を連れて飛び込むって、きっと大変な事。
時々、「馴染めない土地もあった」とこぼす。近所の悪ガキが来ては私に嫌がらせをしていたらしい。
ご近所を集めての子供の誕生日会にうちだけ呼ばれなかったり。
相談する相手もいない実家から遠く離れた場所で、子供を守り育てなければならないというプレッシャーは、親になった今なら良くわかる。
子供の頃、母親に対して″この人は神経質でどことなくヒステリックだなー″と思っていたけど、母は慣れない環境の中、いつも緊張状態だったのかも知れしれない。

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